ラグビー選手引退後のセカンドキャリアが決まりました

本日、7月7日に公式リリースがありましたが、一緒に引退したごっさんと共に新シーズンからアシスタントコーチに就任し、再びクボタスピアーズで戦える事になりました。

4月末に引退発表をしてシーズンが終わるまで1か月間ほど名残惜しんで頂き、その後も納会やオンラインイベントで盛大に送り出してもらいましたが、早い再会となりました。

そして、アカデミーコーチとしてスピアーズOBの古川泰士さん、神戸製鋼を退団・引退した「シーカーター」こと鹿田翔平も加わりました。

泰士さんは以前StandFMで話した留学の話で、最初に現地での生活をインフラを整えてくれた方で、その後も3年間スピアーズでBKコーチをされていました。昨日のアカデミーから参加してくれていますが、選手時代を含めると今回で3回目となる入団挨拶をしていました(笑)

鹿田はご存じの方も多いかと思いますが、2018年度にスピアーズで一緒にプレーをした後、神戸製鋼へ移籍してトップリーグ優勝を経験してきました。(※スピアーズ在籍時は、シカ、シカタ、Deer等と呼ばれていましたが、神戸製鋼で共に在籍したダン・カーターと掛けて「シーカーター」と呼ばれるようになりました。)
1年しか在籍していなかったとは思えない強烈なインパクトを残していったのでまたすぐ馴染むでしょう。
今のスピアーズにはあまりいないタイプのキャラなのでどんどん存在感を発揮してくれる事を期待しています。

新リーグへ向けて、更なるアカデミーの充実が必要な中で、2人が加入してくれたことは心強い限りです。

これからまた新たな立場でチームの勝利に貢献できるように頑張っていきますので、引き続き宜しくお願いします。

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クボタスピアーズ2021年度新体制のお知らせ

 

 

コーチの立場はどんな感じなのか?

選手時代と同様に、社員の立場でコーチングスタッフとして働きます。

ご存じの方も多いかもしれませんが、スピアーズでは、社員選手は各自の所属部門があり、ラグビーの時間以外はそちらで業務しながらプレーをするという形となっています。◎社員選手の【社業】と【競技】のバランス

私は、以前から少し関連記事を発信していた通り、農業機械関係の部署に所属しており、官公庁や業界団体に対するクボタの窓口となる業務を担当していました。
友人からの質問 クボタのスマート農業 すごく簡単に答えるとこんな感じ
「カーボンニュートラルって何?」 / 最近の学び カーボンニュートラル編①
胸のロゴマーク「KSAS」って何? / クボタスピアーズの試合ジャージ

現役生活の12年間ずっと同じ部署所属と、一般的な社員では珍しいような長い期間お世話になっていました。

しかし、今回のコーチ就任に伴い、スピアーズを管轄する部署へ異動となりました。
社員の立場ではありますが、直接事業には関わらない間接部門となり、コーチ専任の現場スタッフと言う事で、実質的なスケジュールで言うとほぼプロコーチと言っても過言ではないものとなります。
チームとしての活動以外の時間をどうやって使っていくか、今まで以上に自分でコントロールしていく事が重要となっていくと思います。

役割としては、アシスタントコーチとしてセットプレーの部分に多く関わっていく事になりますが、アカデミーコーチも兼務なので、どちらかというと若手育成に比重を置いたイメージになると思います。

コーチをやりたくなるまでの経緯

せっかくの機会なのでコーチをやりたくなるまでの経緯も簡単に書いておこうと思います。

 

今まで所属していた農業機械部門は、クボタにとってはメインの事業であり「世界の農業を支え、食糧問題解決に挑戦していく」という今後の展開を考えても非常に興味深い分野でした。

正直、選手時代はサポート業務が中心でそこまで責任をもった業務を担当していた訳ではないので、引退後にバリバリ仕事をするという事に対し多少なりとも期待と憧れがありました。

昨年に引退した四至本とは昔から時々二人で飲んだ際には「引退したらどっちが速く昇進するか勝負しましょう!笑」と言われていたのが懐かしいです。

そんな感じで、元々コーチだけでなく、引退後にラグビーに関わるという事にすら特に興味がなかったし、キャリア序盤では普通に公言していた為、引退の数年前から「今後もラグビーに関わる事も少し考えている」というような発言をするようになって、両親や昔からの友人たちには結構驚かれましたね。

 

コーチを意識する事になったきっかけ

自身が行うと言う意味でのコーチングに触れるきっかけは2017年度にトップチームコーチ講習に参加した事です。
(現在は制度変更に伴い名称も変更となっています)

怪我が長引いておりこの講習を受けに行った時も実技の際はまともに動けなかったし、これがきっかけと言っている通り特にコーチングをしたいと考えていなかった為、行くまではあまり乗り気ではありませんでした。

行ってみると最年少で、他の参加者は対戦した事がある方もいましたが、すでに引退している少し上の世代の方がほとんどで、学生時代からテレビで見てた人たちという印象でしたね。(最年少とは言え29か30歳なので、最近は若い選手が早くからコーチ資格取得していてすごいなーと思います。)

講習は、3泊4日を年数回、かつ毎日懇親会&翌朝提出・発表の課題アリという最初の経験としてはそこそこハードなスケジュールで楽しく学ばせてもらいました。ただ、コーチングを学ぶという事において、最初がこの場だったから悪い印象を持たずにスッと入っていけたのかもしれません。

とは言え、思い返せばこれがきっかけだったというだけで、当時はこれを受講した事で「よし!コーチを目指そう!」とは1ミリも思っていませんでした。


⇧初回の講習合宿。講師含めて豪華メンバーでした。講習中には、今年からホンダのHCになった上田泰平さん(中央)の誕生日祝いをしました。

ちょっとだけ視野に入ってきた

この講習を受けたシーズンでは、チームの方でもFWコーチのサポートという事で、対戦相手のラインアウトの分析及びユニット練習内で数分間「Konno Block」という時間をもらうようになりました。

上手くいく部分もあれば、失敗する部分もあるし、コーチの意図とずれてチーム内での目先の勝負にこだわりすぎて怒られたりしましたね(笑)

色々準備する中で、試合で相手が同じ事をやってきてターンオーバーしたり、この動きが有効だと思うと話していた動きが決まったりする事が重なり、少しだけ「楽しいかもな」と思いだしたかもしれないです。

また、並行してスピアーズアカデミー(当時の名称はU-15 )でも選手コーチとして関わっていく事になりました。
現在と違い、学年で担当コーチを決めていたので、1年間同じメンバー&コーチで練習していくという形で行っていたので、週1回ではありましたが年間を通した選手の成長に関われた事は楽しかったです。

もうちょっと考えるようになってきた

もうちょっと考えるようになってきたのは、2年前くらいかな?と思います。

選手として継続して行く中で、コーチのサポートもしていた事からシーズンの始めに「プレイングコーチはどう?」という打診を受けました。

特に名前に興味がなかったし、役割が変わらないならいらないなと思いお断りしましたが、その辺りから考え始めたと思います。

FWコーチのソアカイからも飲みの席ではよく「オレが契約終了して帰国したら次はお前にやって欲しい」と言われていました。一緒にプレーをしていて、その後コーチと選手という立場になっての付き合いですが、そう言って貰えていたのは嬉しかったですね。


⇧この写真は2018-19シーズン終了間際。この次のシーズン前くらいに「プレイングコーチ説」が少し浮上しました。

最終的には…

昨シーズンの途中くらいである程度の意思確認はしてもらっていました。

しかし、メインの人事がどうなるか確定していない中で、そりゃ末端で入る私の人事は最後ですよね。
また、社員なので会社側の人事もある為、どうなるかはわからないまま結構な期間が経ちました。

引退という話をしてから、ある程度決まるまで数カ月は経っていたので、これで結局「やっぱり大阪異動で!」とか言われたらどうしようかなー?など少し不安でしたね。(農業機械部門のメインは大阪の本社の為)

 

今後の展望

まずは、新リーグ初代チャンピオンに向けて挑戦していく事となります。

もちろん選手としてやっていた時とは求められる事や果たす役割は変わってきますが、選手時代と同様「自分の成長がチーム全体の成長に繋がる」という事を念頭に、自分自身が成長していけるように新しい仕事に取り組んでいきたいと思います。

では、これからもよろしくお願い致します。

 

以上
ありがとうございました

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