ラグビーを始めたきっかけ ◆だまされてラグビーを始めたら19年経ってた話①

先日発表した通り、今期限りで引退をし、19年間プレーしたラグビーを辞める事になりました。
最後の1年間は、積極的にSNSで発信をするようになった事もあり、今まで接点がなかった多くの方々にも知ってもらう事が出来、引退の発表をした際には、驚く程の反響を頂き大変感謝しています。

せっかく知ってもらったので、最後まで楽しんでもらえるように思い出話シリーズもちょこちょこ書いていこうかなと思います。

※今回は、以前#コンノートに書いたものを再編集して掲載しています。今後続きは新作でお届けします。

今でこそ大好きなラグビーですが、進学等の節目の度にラグビーを続けるかどうか迷っていて、どちらかというと「できる環境があるから続ける」という受け身な姿勢のラグビー人生でした。
ここまで続けてこられたのは、周りの人・環境に恵まれていたたおかげです。

最近の選手は積極性があり、様々な行動に目的を持って取り組んでいる姿勢は本当に尊敬していて、若い時の自分を考えると恥ずかしいですね(笑)

今回は、私が高校でのラグビーとの出会い・始めたきっかけについて書きます。

1.たまたまラグビーが強めな高校に入る

私は父が転勤が多かった為、いわゆる地元というのが特にありません。
中学校は、父の駐在に家族でついていき香港に住んでいたので、香港日本人学校を卒業しました。

中学時代は、香港と言う土地柄で場所がない関係で部活動が毎日なかったので、小学校から続けていたサッカーを中心にバスケットボール部やバレーボール部を掛け持ちして何かしらスポーツをするという生活をしていました。

残念ながらラグビーの事など1ミリも知りませんでした(その為、香港セブンズの存在も知りませんでした。もったいない…)

高校入学に際し、父の駐在が残り3年もなさそうで「どうせ転校になってしまうから」との事で1人だけ先に帰国する流れになりました。
その為、志望校は元々住んでいた埼玉県を筆頭に、なんとなく縁がありそうなエリアでの「とりあえず寮があるところ」を優先的に探しました。

いくつか候補がありましたが、諸々のご縁があって茨城県つくば市にある茗渓学園に入学する事になりました。

花園で優勝経験もあり、ラグビーが校技に指定されていて男子生徒は中高6年間授業で全員がやるので、入試の面接では「うちは結構ラグビーが盛んだけどやらないの?」と聞かれましたが、即答で「絶対入らないです」と言った事を覚えています。


⇧母校の正門。とは言えちゃんと門がなく反対側からも出入りできる為、私はほとんど利用した事がないです。

2.友達がいない

元々社交性が高くないのにも関わらず、地元でもなんでもない地域の中高一貫校に高校から入学してしまったので、最初は友達がほとんどできませんでした(笑)

しばらくは数少ない高校入学の数人と、寮生数人と少し話すだけの毎日でしたね。

当時は今ほど気軽に海外と連絡が取れないので(まだガラケーすら全員が持っていない時代)家族ともほぼ音信不通でゴールデンウィークに一度帰省するまでのメンタルはとてもやられていました。

あまり人と話をしない生活をしながらも、クラスには数人ラグビー部がいる事に気づきます。

「ラグビー部って人数多いから友達できるんじゃね?」とちょっとだけ考えるようになります…。

3.だまされる

高校の2学年上に、現在も神戸製鋼コベルコスティーラーズで活躍する谷口  到選手がいました。
谷口さんも高校入学組で、高校からラグビーを始めていて、関東選抜にも選出されていました(その年に高校ジャパンにも選ばれる)。

身長は同じくらいですが、当時約70㎏の私からすると本当に怪物みたいに見えましたね。(ラグマガで憧れの選手を書いていた学生時代は 「谷口 到」と書いていました)

身長が高かった事で、1か月ほど毎日のように寮の部屋に先輩や同級生が来て「初心者でも大丈夫だよ」「谷口がなれたんだからキミも関東選抜くらいにはなれるよ」「とりあえず一回だけ見学きなよ」と熱心に誘ってくれるし、ラグビー部は人数が多いから友達も増えるかもなーという期待もあって仕方なく一度だけ見学に行く事にしました。

見学当日グラウンドに行った瞬間、寮生ではなかったキャプテンが登場し「ありがとう。宜しく」と握手をしてきました。
そのまま顧問の先生の所へ連れていかれ「新入部員です」と紹介されていました。

よくある話ですが、一度だけの見学なんて存在しなかったのです…。


⇧2020年12月19日vs神戸製鋼。きっかけを作った谷口さんと2ショット。実はほとんど写真撮った事なかったな。

4.逃げたいけど逃げられない

同期で高校からラグビー部に入部したのは、自分を含めて3人でした。

他の2人は中学でもやっていて「茗渓でラグビーがしたい!」と入ってきたので、初心者は自分1人だけでした。
タッチフットではオフサイドラインがわかってないので、1人だけ相手側に残ってしまっていたり、フィットネストレーニングでは一番後ろを走っていたり、身体は全くついていってないのに気持ちが盛り上がってしまい入部数日で谷口さんに果敢にタックル風にぶつかっていき吹き飛ばされたりと散々な状況でした。

数か月経つと、友達もできたからもう満足してきたし、頑張ってるつうもりだけど相変わらず全然ついていけないし、誘ってくれてる時は優しかった先輩も結構怖いしとネガティブな感情が大きくなっていき、「どうやって練習に参加する時間を短くできるか?」と真剣に考えました。

その為、帰りのホームルーム後の掃除はしっかり行い、委員会等の集まりにはできるだけ出席し、全てが終わってから一度寮に帰ってジャージに着替えてグラウンドに一番最後(むしろ練習の途中)に行くのが日課になりました。

しかし、そんな生活は一瞬で終わりを告げます…。
先輩に呼び出され怒られ半強制的にできる限り早くグラウンドに行かざるを得ない状況になりました。
無視しようにも結局夜には寮で先輩と会わないといけません。

逃げたいけど逃げられない生活はしばらく続きました。

5.唯一の拠り所

そんな中、ONフィールドで唯一の拠り所となったのがラインアウトです。
身長が高いから誘われていたので、入部初日からジャンプさせられました。

練習試合に出るとルールがわからなくても、とりあえずラインアウトになればその場に行ってジャンプしとけば結構ターンオーバーできる ⇒ なんか褒めてくれるし楽しい という感じでした。

ラグビーにラインアウトがなかったらさっさと逃げていたかもしれないし、そもそも誘われる事もなかったでしょう。

 

その後

2コ上(谷口さんの代)が引退後、1コ上のロックの先輩も退部してしまった為、ルールも怪しいのに年明けの新人戦からスタメンで使ってもらうようになりました。(引き続きラインアウト以外は足は引っ張っていましたが…)

試合に出られるようになると段々違う楽しさも見えてきて、その後も色々ありましたが非常に楽しい高校ラグビー生活でした。

今時あまりおすすめしませんが、逃げられない状況で頑張るしかなかった事で成長できたのかもしれません。

もちろんOFFフィールドで良い仲間に恵まれて楽しかったから続けられたと思います。(これが重要です

思い出シリーズ第1弾でした。
今回は以上です。

最後まで読んで頂きありがとうございます。
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1 COMMENT

新井田幸子

中々興味深い高校生活を…、「逃げたいけど、逃げられない」環境…、その様な時でもメンタル面では腐らなかったのですね。強い‼️

拝読概の有る内容で、今後も期待しています👏有難うございました🤗🤗🤗

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